死生観

その他

私事ですが、一昨日ペットのレオパがお空に旅立ちました、

20年ほど前にペットの犬を交通事故で亡くし

6年ほど前に母をすい臓がんで亡くし

今回ははペットのヒョウモントカゲモドキが突然死しました。

大事な人、動物を亡くしての心のうちを素直に書こうと思います。

死生観というほど大げさなものではないけど・・・

まず、個人的には死というものに割とドライだと思っています。

生物である以上いつかは朽ち果てるのは当たり前で、それが早いか遅いかの違いはあるにしてもそれが与えられた運命なんだと。

「たられば」をいくら述べてもやはりこの運命には逆らえないんだろうなと思っています。

そして、常識を逸脱するほどの自然の摂理に反して生かされるのも違うなと思います。

自力で歩けなくなったり食べられなくなったりわが子が誰かもわからなくなってしまったら

それはもう終わりの時なんだなと個人的には思いますし、自分がそうなったら静かにその時を迎えたい。

家族が延命を望むのならエゴをおしつけるなと思ってしまうでしょう。

だからこそ1日1日を悔いなく生きないといけないのだなとそう思います。

大切な誰かの死を迎えると誰でも必ず後悔する

後悔しない人はいないのではないでしょうか。あくまでも「大切な」人やペットを亡くした場合ですけど。

あのときああしていれば良かった、こうしていれば良かった。

もっとしてあげられることがあったのではないかと。

飼い犬のときは・・・

20年前に飼い犬を亡くしたときは、夜中にリードが外れて脱走していて、家のすぐ近くの道で血を出しながら倒れているところを夜通し探して明け方に見つけました。

見つけたときにはもうすでに体が冷たく、硬くなっていました。

もっと早く気づいて見つけていれば車にはねられることもなかったかもしれない。

リードがはずれないようにもっときつく結んでおけば逃げ出すこともなかったかもしれない。

防げた事故でしょうからそれはもう悔やんでも悔やみきれず、亡骸をまえにしてひたすら謝ることしかできませんでした。

母を亡くしたときは・・・

母は私が結婚して家を出たあたりで父と離婚し、ひとりで仕事をしながら友人と交流をしたり、楽しそうに生活していました。

そんな生活を5年ほどしていたでしょうか。

最近背中が痛いんだとかかりつけのクリニックでみてもらうと、どんどん大きな病院を紹介され、最終的にはステージ4のすい臓がんであることがわかりました。

発覚したときにはすでに手遅れと言われるすい臓がんです。

急に余命宣告半年を言い渡され、抗がん剤治療などもしましたが、発覚から8ヶ月であっさりと天国へ行ってしまいました。

まだ50代の母、乳児を抱える私と妹。

最初は抗がん剤治療を頑張ってしていた母でしたが、もう辛いからやりたくないと言い出します。

まだ50代と若かったので、癌の進行も早かったのでしょう。

辛い割には癌が気持ち小っちゃくなったくらいだったので、心がポッキリ折れてしまったんでしょうね、。

そこで諦めずにがんばろうよと治療を続けさせれば違った結果もあったのでしょうか。

抗がん剤治療をやめてからは緩和ケアができる病院に移りました。

日に日に強くなっていく痛みはどれほどだったでしょうか。

歩けなくなって食べれなくなって、もうお願いだから殺してくれとまで言うようになりました。

せん妄も出て、もう数日の命。鎮静の薬を投与して眠っている間に・・・か、痛み止めをもうちょっと続けることもできる。どうしますか?という段階で私は迷わず鎮静の薬を使ってもらうようにお願いしました。

鎮静=もうお別れ

痛み止めをつづければまだ生きれたかもしれない。

まだ話すことができたかもしれない。

でも母は死にたがっている。痛いのはもう嫌だ。楽になりたいと。

やっと解放してあげられるのか、やっと楽になれるのかという気持ちと同時に

もっとお見舞いに行けば良かった。もっと感謝を伝えればよかった。

本当はこうしてほしかったんじゃないか。もっとできることがあったんじゃないか。

今までの楽しかったいい思い出なんかふっとんで

後悔しか残りませんでした。

そして突然死したヒョウモントカゲモドキ

飼っていたトカゲは昨年の夏に生後4ヶ月ほどで家に迎え入れました。

初めて自分で気に入ってお迎えした子です。

それはもう必死にお世話したものです。

ヒョウモントカゲモドキは温度と湿度に非常に気を付けなければならなくて、マメに温度計を確認しては、ああでもないこうでもないと悪戦苦闘しつつ

慣れてきたころには手の上に乗せてかわいがったりもしました。(基本的に爬虫類は人に構われるのが好きではなくストレスになるので、ほっとく時間がほとんどです。)

そんな平穏で楽しい日々でしたが、いきなりの突然死です

ここ最近ごはんを食べずにシェルターのなかにいることが多いなと思ってはいましたが、冬はあまり食べなくなる個体もいるということだったのであまり気にとめず

生きたエサなら食べるかもと買いに行き、食べさせようとしても興味をしめさず

何かおかしいと思いよく観察してみると・・・

口元に脱皮不全のようなものを見つけました。これが痛かったり邪魔だったりしてごはんを食べないのかな?

これをとってあげようとしたところで、攻撃されたと思ったのでしょうか。

ガブリと嚙みつかれました。

そこからのトカゲはもうおかしな行動のオンパレードでした。

ひっくり返ってみたり、ずーーーーーーーっと同じポーズでひたすら動かなくなってみたり、

しっぽふって威嚇してみたり、いつもはマットの上で寝るのにマットにもぐって寝てみたり・・・

最終的には私の顔を見てケージの中から激しく嚙みつくしぐさをみせ(ケージがなければ実際に噛まれているでしょう)一通り暴れたらまたひたすら動かなくなってしまいました。

そう、このピクリとも動かなくなったのがいわゆる仮死状態だったのだと思います。

本当に微動だにせず、だんだんと威嚇のために動いていたしっぽも動かなくなり

噛む力がなくなり、体の力もなくなり、息もとまったように見え

ああ。死んでしまったんだなと理解しました。これが夜の11時くらいの話です。

翌朝

朝になり、子どもたちにトカゲが死んでしまったことを伝え

お庭に土葬しようとなりました。

準備をし、いざお別れのとき・・・

手に抱きかかえた瞬間、勢いよく動きだすトカゲ。

はぁーーーーーー!?と驚く私と子どもたち。

おそらく生命を維持する為だったのでしょう。仮死状態というか冬眠みたいな状態になっていたのではないかと思います。

ですが、一瞬生き返った!?と思ったものの、ぐったりしてかなり弱っているのには変わりありません。

このまま諦めたくはないと思い、トカゲも診てくれる動物病院に駆け込みました。

弱っているけど治療すれば回復する可能性は0ではないと説明を受け、骨から薬を注入する治療をしてもらうことになりました。

家で治療が終わるのを待っていると、連絡すると言われていた時間よりも早く電話が鳴り

「たった今亡くなりました」と。

覚悟はしていました。だってあんなに弱ってたし。

エコー見たときも心臓の動きがすごく弱かったし。

でもなぁ。レントゲンで見たところ、とくに内臓の疾患はなさそうって先生言ってたんだよなぁ。原因わからないんだって。

今度こそ本当に心臓が止まって死んでしまいました。

私は2度、絶望を味わうことになりました。

さらには死因がわからないことで、よりいろいろな後悔がでてきます。

もっと早く病院に連れていけば。

もっと管理をしっかりしていれば。

あのときこうしておけば、あれをこうしておけばよかったのかも。

うちではなくて違うお家の子になればもっと幸せに長く生きられたかも。。。

犬のように表情もなければ言葉もしゃべらないトカゲです。

何を考えて生きていたのか、どんな思いで家にいたのか。

どう考えても自分が悪くて、自分のせいで死なせてしまった。もっと生きていたかっただろうに。こんなことしか浮かんできません。

少し落ち着いたら

ひたすら泣いて、ひたすら謝って。

とりあえず我慢せずに悲しむことをしました。これは大事な行為だと思っています。

たらればの後悔はたくさんありますが

名前を呼んだら「ん?」と顔を上げてくれたり、ケージのなかでだらーんと寝ていたり

それなりに居心地の良さも感じてくれていたのではないかと思います。

ある人が言っていました。

魂というのは存在している。姿形はなくなっても意識がそこにあって、必要なときには傍にいてくれるんだと。

私の指には数日前に噛まれた傷がまだあります。

本人?はもういないのに。

このような生きていた証とそばで見守ってくれているのかなという気持ちが死の悲しみを乗り越えるのに大切なのかもしれませんね。

最後に

生きているいじょう、遅かれ早かれ誰にでも死は訪れます。

そして、悲しいという気持ちより後悔が押し寄せてくると思います。

いいんです。後悔がない人なんていません。みんなだいたい同じ思いをしています。

だからこそたらればで後悔しないように大切な人には愛する気持ちや感謝の気持ちを常日頃から伝えていきたいですね。

死にあらがうことはできないと思っておりますので、本当にできることってこれくらいしかないと思います。

死生観というお話からはだいぶかけ離れてしまいましたが、久しぶりに大切な人の死を経験したので、備忘録としても書かせていただきました。

おわり

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